| 日時 | 2025年3月14日(金)14:30~16:30 |
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| 場所 |
りそなプライベートサロンReラグゼ 大阪府大阪市北区角田町8-1(大阪梅田ツインタワーズ・ノース24階) |
| 講師 | 慶應義塾大学 経済学部教授 井手 英策様 |
| テーマ | 日本の財政赤字、何処まで大丈夫で、どこから大丈夫でないのか |
鷲尾所感
関西アジア倶楽部の第78回「日本の財政赤字、どこまでが大丈夫で、どこからが大丈夫でないのか」、慶応義塾大学・井手栄策教授の話、いかがでしたか…。
対GDP比200%を超える政府債務の削減、どうすればいいのか?
一人当たり1085万円に達した国の借金、しかし同時に考えるべきは、日本の対外資産が471兆円(令和6年度)、つまり、一人当たり940万円もの対外資産もあるということ。要は、日本の今を財政危機と呼ぶべきか、或いは、世界最大の債権大国と呼ぶべきか…。
こうした複式簿記的思考で見た日本の資産・負債バランスから見て、急務の問題は2040年問題。試算によると、今から5年後の社会保障給付額が現行の100兆円から170兆円にまで急増する見通しとのこと。
もちろん、そうした試算には、支出額が過大に出る要素も満載。たとえば、高齢者が増えると社会福祉の公的負担も急増すると見込まれているが、高齢者死亡による相続税の増収などは試算に含まれておらず、更に、少子化が進むと教育費や医療費・児童手当が減少するはず。
しかし、このような要素は、給付額増加予想の試算過程では省かれてしまっている。故に、井手教授によると、実際の給付額の増加は、もっと少なくなる可能性大だとのこと。
いずれにせよ、そんな財政バランスそのものの試算の限界を見据えた上で、井手教授は、まったく別の観点から、そもそも財政政策の目的や価値観の転換が必要ではないか、と問題提起される。
同教授によると、「誰かの必要のために」というのではなく、「みんなの必要のために」と、先ず目的を転換するべきだと…。次いで、「弱い立場の、例えば高齢者や障碍者、低所得者と、どこまで連帯するか」の価値観を問い、次いで「どのような受益と負担のバランスをとるか」の、公平感を問うべきだと主張される。
こうした思考の末、井手教授が提唱されるのは、ベイシック・サービスを満たす財政政策への転換。つまり、原則ベイシック・サービス(大学・医療・介護・障碍者福祉、給食費・学用品・修学旅行費)は無料とする。さらに、生活扶助や失業給付を拡充し、加えて住宅手当も増額する。
そして、そのための財源は税金で負担するが、そんな場合でも、仮に消費税なら6%強で、すべてのベイシック・サービス需要を満たしてしまえる。つまり、社会福祉の基礎にある価値観、延いては財政感を大胆に変えればいいだけの話だと…。
井手教授のご高説、色々な疑義を含みながらも、多くの含蓄が読み取れ、面白いプレゼンだったと思います。
だが、こうした基本的議論を進めれば進める程、厄介になってくるのが政治の介入。社会の諸々のインタレスト・グループが、己たちのグループの裨益を求めて、財政資金に群がってくる。そうした利益調整機能としての政治が、日本の場合、民主主義の原理原則に即して、どこまで成熟しているか。真に問われているのも亦、恐らく、政治の在り方の問題そのものなのでしょう。
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