鷲尾レポート

  • 2025.08.19

素人歴史探偵による、米国でのトランプ、或いはトランプ的なものを理解するための一試論

第二次トランプ政権が誕生して、8か月が過ぎた。というよりは、まだ8か月しか経っていない、というべきか…。この間、トランプ大統領は、米国内はもとより、世界の既存ルールをかき回し続けた。

不法移民の本国強制送還、或いは、同容疑での拘束者を海外の米軍基地に設けた監獄に収監。

更には、ハーバード大学などへの政府補助の停止。リベラルな、それ故、米国の政策に反対していると見做す外国人留学生への発給ビザ取り消し。デモなど、トランプ政権の政策への抗議意思表明への、州兵や、場合によっては、米軍を動員しての抑圧。

加えて、与党共和党内を牛耳っての、連邦議会での社会保障関連予算の大幅削減や減税措置の恒久化。前バイデン政権が着手していた、各種のグリーン・イニシアティブの撤回もしくは縮小。

デンマーク領グリーンランドを買い取るとか、パナマ運河を取り戻すとか、時代錯誤的な主張の展開。ウクライナや中東ガザ地区住民など、被害にあっている当事者を抜きにしての和平交渉指向。

そして極めつけは、大統領権限をフルに活用(乱用?)し、全世界の国々を相手とする相互関税や懲罰関税賦課、更には、貿易では、相手国ではなく、企業(米国企業、或いは外国企業)を直接相手とするDeal、或いは、新聞社相手の訴訟や、直近伝わるところでは、FRBを相手とした訴訟意思の表明等など。

何故、トランプはこうした一連の騒動を引き起こしているのか…。何故、そんな騒動を引き起こしても、今のところ、トランプへの支持率は余り下がらず、経済は平常を保っていられるのか…

素人歴史探偵の筆者は、自身の偏見が入ることを承知の上で、以上の諸疑問を以下の7つの視点に沿って、大まかに整理してみることにした。

  1. 選挙公約の生真面目な実践(トランプの性格)
  2. 勘に基づく行動、理屈は後からついてくる(民衆=大海のイワシの群れ?)
  3. 建国の父たちは嘆いている(グローバル金融経済時代、有権者の利害意識も変質)
  4. 齢240年強の米国の政治体制(嘗ては有効だったシステム【設計上、当初から意図的に導入してあるCheck and Ballanceを軸とする制度】も、今では…それが齎す“非効率化“の弊害の方が圧倒的に大きくなっている)
  5. 米国社会の基底に堆積する、Anti-Intellectualism(“知識への尊厳”の喪失)
  6. 国際政治分野でも、歴史の後退り(或いは、新しい国際秩序の幕開け)現象…?
  7. 最終的に、トランプは、米国のシーザーになるか、或いはドン・キホーテで終わるか?

①の選挙公約の生真面目な実践

何よりも強調すべきは、トランプの飽くなき自己承認欲求…

彼の自伝(The Art of The Deal)を読むと、随所に「熱中することの必要性や、物事は世に知られて幾ら」といった、言い替えると、“自己愛、もしくは自己への承認欲求願望の強さ”を垣間見させてくれる記述が多く散らばっている。

例えば、専門家のいい加減さを指摘して、下記の如く言う。「…美術品収集家の多くは、画家が3分間で仕上げた絵と、本当に大事に思って仕上げた絵との違いが判らないだろう…収集家たちは、画家の名前を買うことにしか興味がないのだ」。或いは、「私には一流のものを創り上げるだけの資力がある。

だから自分自身の住むアパートには、思い切りカネをかけたい…。最高のものが欲しいのだ」等など…。

トランプ大統領は2期目の再選に際し、数多くの公約を口にした。そして当選後、その尊守が政治的信条であるか否かは別として、自ら発した公約を、或る意味、生真面目に実行しようとしている。何故、そんな愚直な姿勢を示すようになるのか…

第一期トランプ政権の暴露本“”Fire and Fury“(炎と怒り)によると、「トランプは自分が知りたいと思ったことを熱心に追及する。つまり、自分の興味あるテーマを語り、次に、その興味分野を他人に語らせる、彼らにも自分の関心分野を共有させる…」とある。言い換えると、そうしたやり方こそが、教祖が信徒を獲得する手法なのだ。

彼の選挙時の多くの公約は、そんな雰囲気の下で産み出され、有権者の心の中に浸透させたモノ。つまり、トランプは自分の心情を、有権者たちが共有するように仕向けた

だから、何度も主張を繰り返すうちに、いつの間にトランプ自身も、その打ち出した概念の、一層強い虜になる。

選挙公約の一つ、Manufacturing Renaissanceの提唱など、そうしたトランプ流儀の雰囲気醸成の中からの独創概念の一つ。そして、この独創アイデァも、しゃべり続けている内に、“重厚長大型産業労働者という、有力な票田を掘り起こす、実効手段であることを発見する。そうなると、彼はもう、このスローガンを手放せない。

②の理屈は後からついてくる

トランプは常々、「自分は専門家を信用しない」、「自分が拠り所にするのは、勘だ」と口にする。勿論、全ての案件で、勘が当たることはない。

しかし、勘が当たった案件は、それをとことん深堀して行く。そうした態度がトランプ的であり、勘が当たったとなると、トランプは、今度はそれをメディアやツイッターを使って、積極的に誇大宣伝する。

「知ってもらってなんぼ…」という損得計算が、そうした自己宣伝姿勢の根底に色濃く漂う。

一方、時の政権が、そうした製造業復権、そのための貿易収支面での対米黒字国向け関税賦課を唱え、有権者が総じて、そうした指導者の主張に共感を持っているとわかってくると…。

そんな状況下、その主張に正当性を付与してくれる理論家が出現する。そうなると、トランプ並びにその側近たちは、そうした理論を真説の如く敬い且つ奉る。トランプが、世の専門家たちを信じないのは、そうした追随者(専門家)を多く見過ぎた所為でもあるのではないだろうか…。

そんな専門家は、トランプ親分一家の身内に位置付けられるだろうが、当のトランプ自身は、そんな身内をおべっか使いと見做して、信を置かない。

彼らは、トランプにとっては、所詮、大勢翼賛的な専門家なのだ。そうした態度の底には、自分以外の、“他人に対する拭え切れない不信感“が横たわっている。

例えば、そんな、トランプ政策擁護の新説は、下記のように説く。

「第二次大戦後の国際経済に於いて、資本主義的民主主義の主提唱者となった米国は、世界中に民主主義を広めるため、後進諸国の経済発展を促すようになり、挙句、それら諸国が採用した産業政策により、当該国の過剰生産能力が産み出す輸出品を、米国が一手に引き受ける羽目に陥り、今のような世界最大の貿易赤字国化してしまい、為に国内製造業は輸入品との競合に追われる形で衰退してしまった」。

「…こうした状況から抜け出すにはどうすればよいか…」。

Make America Great Againを標榜し、産業政策を採用し製造業の国内生産能力を過剰化させた国々に関税を課し、その関税賦課を圧力に使って、それらの国々からの対米輸出を抑制し、更に彼らに米国(内)製造業に投資させ、以て、米国製造業を復権させればよいのだ」。

つまり、トランプの「“Trade is bad, Custom Tariff is beautiful”という言葉は、上記のような概念を基調とするメカニズム創成の提唱なのだ」と…。

いずれにせよ、上記のようなトランプの、信者を啓蒙・獲得する戦略は、例えれば有権者を、大海の中、群れ集う、小魚の群れに創り上げる努力だと、理解できるではないか…。

③の建国の父たちは嘆いている、並びに④の米国の建国以来の政治体制

米国が英国から独立する際の憲法制定過程で、建国の父たちが、新生国家の統治システム作りにどれほどきめ細かい造作を施し、国としての統治能力を阻害せず、されど民意を退けず、且つ、独立13州の利害を相互調整できるユニークな制度を案出したか…。

***米国憲法が想定する仕組みは、概説するだけでも長文になるので、説明は省くが、その統治システムには、立法・行政・司法の三権分立の考え方が歴史上はじめて取り入れられ、しかも、それぞれの選出基盤を意図的に違えるように仕組み、それらが相互牽制できる制度や、或いは、選挙にしても、一回の勝利だけでは統治機構の全てを掌握できない、チェック機能を案出している(詳細は拙書『20のテーマで読み解くアメリカの歴史』、ミネルバ書房;憲法制定過程での革命、を参照のこと)。

だが、そうした建国の父たちの細工は、第二次トランプ政権によって造作もなく踏みにじられている(少なくとも現在までを見れば…)

三権の間を相互牽制すべく、憲法解釈の分野で強大な権限を授与されているはずの連邦最高裁は、民主党・共和党の党派的発想で送り込まれた、必ずしも質の良くない判事たち(トーマス判事のスキャンダルや、人口中絶判断の際に垣間見られた各判事の動き、或いは、直近では国際緊急経済権限法に拠る、トランプ大統領の相互関税等発出に対する国際貿易裁判所判決への上級審での、判断回避的姿勢等など…外野席から観ていての、筆者の独断)を構成員とする、トランプ迎合機関になり下がっており、建国の父たちが想定していた機能を発揮出来ていない。

***国際貿易裁判所は5月28日、1977年国際緊急経済権限法に基づくトランプ関税(全ての国に10%の追加関税を課すべースライン関税、米国の貿易赤字が大きい相手国に賦課する相互関税、合成麻薬フェンタルニや不法移民の流入阻止を目的としたメキシコ・カナダ・中国向けの追加関税)は、いずれも違法との判断を下した。

これに対し、トランプ政権は即刻上級審に抗告、当該の控訴審は5月29日、国際貿易裁判所の判示の効力を一時停止させるとともに、当事者に対し、6月9日までに意見書の提出を命じていた。

そして6月10日、控訴審は“訴訟進行中の衡平を確保するため”、トランプ政権の追加関税賦課の決定の効力は、その継続を認める旨、仮判断を下した。その一方、控訴審は、最終判断を下すため、通常は3人の判事で判断を下すところ、事の重大性に鑑みて在籍判事全員(民主党系8人・共和党系4人:ただし、共和党系判事1名は停職中なので実質11名)の合議で本件を熟慮検討・判断する旨も併せて公表、そうした熟慮は7月30日から開始されるとした(控訴審の判断は、早ければ9月中と予想されるが、最終判断は連邦最高裁にまで持ち込まれると予想する向きが多数説)。

いずれにせよ、そんな判断内容を聞かされると、筆者は思ってしまう。

この控訴審の仮判示が出た時点では、相互関税の発動は8月1日と予定されていた。つまり、「7月30日から拡大法廷での本格審議を始める」というが、その審議が始まるときには、予定される関税賦課措置は2日後には発動されてしまう。

つまり、是非の判断を発効前に確実に下すという姿勢の欠如、それは即、トランプ政権の既決定、つまりは、関税賦課発効を既成事実化することを意味するもの。従って、そもそもそうしたスケジュールでの判示過程を採るという思考自体が、トランプ政権の決定を承認するという、暗黙の姿勢の表れではないのかと…

言い換えると、ほとんど全世界が包摂される、それほど規模の大きな関税賦課という事態だからこそ、むしろ逆に、とりあえずは執行停止として、事態を元のままに据え置くというのが、厳密な法的意味での衡平というものではないのかだろうか、と…。

つまり、「大統領の下した判断は、裁判所の判断が下るまでは、そのまま有効」というのでは、控訴審の姿勢は、余りにも米国内の政治力学を考慮し過ぎたものではないかと…。

おまけに、通常とは異なる、在籍判事全員参加型の合意というのも、それだけ重要な案件を扱うからだ、という理由付けよりは、日本流にいえば「赤信号、みんなで渡れば怖くない」式の、自己保存本能の発現と見るべきなのではないのだろうか、と…。

話題を再び、建国の父たちの熟考に戻すと、議会を上院と下院で、選出基盤を違えるように構造上仕分け、それによって各種利害を相互牽制させ、政治が極端に走らないよう目論まれた仕組みも、所得や資産格差の拡大による現代米国の社会分断化の中では、税金の過半を裕福層から取る徴収構造が出来上がってしまっているが故、行政府がいくら社会福祉予算を拡充しようと思っても、納税層の反対が強く、結果、連邦議会がむしろ、そうした政府の社会福祉予算拡大意図を防ぐ機能を果たすようになっており、まして現在のような、トランプ行政府自体が社会福祉拡大意欲をなくしている状況下では、議会の行政府へのチェック機能など発揮しようがない

こんな状況を、建国の父たちが観たら、大きくため息をついて嘆くに違いない…。

***数か月前、トランプ大統領が自身の口で、「金持ちから税金をもっと取る必要がある」と述べた(NBCNEWS;5月10日)ことがある。だが、その種の発言は以後、一切、聞かれない。如何に金満層支持基盤からの増税反対の瞬時の反発が大きかったか、トランプといえども、そうした声に抗しきれないのだ。

米国憲法が想定する、三権の間、或いは、立法府の中での異なった利害層間での、相互牽制のシステムは、政治メカニズムの中に、意図的に非効率性を埋め込むよう設計された代物でもある。そうした制度の最大の眼目は権力の乱用の防止。

だが、経済が発達し、且つ、実物経済よりも金融経済の重要性が増し、加えて、実物・金融の両面で、経済のグローバル化がここまで進み、更に、昨今の通信技術が往時よりも何百倍も肥大してしまうと、社会や経済を律するメカニズムの根本原則も一変されてしまう。

要は、Check and Balanceなどと言わず、effective and quickこそが重要になってきてしまうのだ…。例えその結果、フェイク・ニュースや詐欺等が横行して、社会における信用と信頼が損なわれてしまうようになっても、それよりは“迅速、かつ速やかに“が、社会にとって至高の価値となってくるのだ。

スマホやX、AIがもてはやされる時代の価値は、そうでなかった時代の価値とは明らかに変わってきてしまっている

だから、以前と今日とでは、言論という言葉の内容も、それを表す手段も、同質ではない。

一国の指導者が、統治機構内部の精査を受けず、自由闊達にXで己の意思を発表し、その旗下にある行政機構が、一般市民と同様、当該指導者の発するXを見ることによって、政策の方向性を知る。

かくして、そうした手法で自身の意見や方針を公表することで、行政機構内部からの指導者へのチェック機能は全く失われてしまう。要は、全てをトランプが決め得るのだ

言い換えると、御大将のご意向を尋ねないと、部下たちは物事を決められない。

だが、御大将は部下たちの諮問を待たず、どんどんと独断で突っ走る。そんな実態は、関税を巡る日米事務方同士の交渉ぶりを見れば一目瞭然ではないだろうか…。

ただでさえ、技術の進歩や社会価値の変化で、Check and Balanceが機能しなくなっているところに、そもそもそんな機能を尊守する素振りも見せない指導者の登場で、米国の民主主義は大きく変質したといってよい。

***米国の社会学者Thomas Edsallは、如何に民主党が労働者の社会感覚から離れた政党になってしまったかを取り纏め、2024年大統領選挙直後に、”Trump’s Return Is a Civil Society Failure”というタイトルで、新聞に寄稿(NYT2025年1月 7日)、概ね、筆者と同じような感想を披歴している。

トランプは、自身の言葉や振る舞いが、己の支持基盤にどう受け取られるか、その点に最大の関心がある。

彼の支持基盤といえば、今や誰でもが“忘れ去られた人々”(重厚長大の製造業従事者)を指すことを知っている。

何よりも重厚長大産業従事者自身が、「トランプが彼ら自身に対して話しかけている」ことを知っている。だから、トランプも、例えば鉄鋼や自動車で日本に譲歩すれば、その見返りに、日本のメーカーから対米投資を引き出した、或いは、日本製鉄は今や米国の会社だ、との成果誇示がどうしても必要になるのだ。

 ***だが、“あちらを立てれば、こちらが立たない”は世の常。例えば、米国進出の日本メーカーが、その製品を米国から日本に輸出する。

そんな“奇策”とも観える合意で米国と折り合っても、それとはまったく別のスキーム(新NAFTA)で、メキシコやカナダに進出した、米国を含む各国自動車メーカーの、それら両国からの米国への輸出に関しては、米墨、米加との間での関税交渉が合意していない現状では、車が米国に持ち込まれる際、日本からの自動車輸入関税率よりも高い税率が適用されてしまう。

皮肉なことに、カナダやメキシコに関連の組み立て工場を移設しているのは、GMやFordといった、当の米国の自動車企業。彼らにとっては、トランプの日本との自動車関税合意による、対日関税引き下げは、まるで敵(日本)に塩を送るようなもの

だから、米国自動車産業関係者(含む自動車労働者)は烈火のごとく怒りまくる。

こんな状況下では、トランプとしても、対メキシコやカナダとの関税交渉を早く仕上げて、日本からの輸入と、例えばカナダからの輸入との間に、賦課する関税率で、差がつかないような措置を取らないと、日本との合意を履行に移せない道理。

***だとすれば、赤沢大臣との対話で、ベンセント財務長官は、先に打ち出した対日関税に関する大統領令を、出来るだけ早く修正する、とか言っているようだが、その前提のメキシコとカナダとの交渉の決着がつくまでは、修正は無理なのではないか…。

整合性の取れない交渉を、トランプの一存ではじめ、トランプの一存で終わらせようと思っても、取り決めは複雑、そうは問屋が卸せない道理

赤沢大臣もベンセントに、「約束を守れないのなら、日本の対米投資の約束も米国産天然ガスの開発も、全チャラ」の啖呵ぐらい切りたいだろうなぁ等と、筆者として、妙な感情移入が出てきてしまう…。

それが出来ないのが、輸出市場も、安全保障も、ともに米国に依存する日本の弱いところなのだから、仕方がないといえば仕方がないのだが…。

***そうであれば、ここは逆に思い切って、昨今の夏の暑さなどを考えると、例え ば、地理的に近接する日中韓のフレームの中で、今後とも想定される熱波への対策での共同プロジェクト(含む、商品開発面での技術協力など)を立ち上げるなど、何か一工夫できないものか…。

トランプの米国が、後述するように、いつまで対中強硬姿勢を続けるのか、一抹の不安を感じている筆者としては、だからこそ、そんな万が一の場合に備える意味もあって、米国が文句を言えない分野での、中国を含んだアジア諸国間での協力を促進する手もありではないかと…。

⑤米国社会の基底に堆積する、Anti-Intellectualism(“知識への尊厳”の喪失)

この現象を論じる場合、忘れてはならないのがRichard Hofstadterの“Anti-Intellectualism in American Life”という本。この本の発刊(1964年)以後、米国の、それこそintellectualismの典型的化体者ともいうべき、リベラル・メディアが、好んでこの言葉を使用するようになった。

尤も、この著作が世に出回ったころの意義付けは、Intellectualな思考は、むしろ世の少数派であり、それ故にこそ、もっとIntellectualな思考を知り、且つ重視しなければならないという、リベラル志向のParadoxicalなものだった。

しかし、その後、世の中の先導的価値観は“リベラル全盛から保守勃興へ”と様変わりする。前述したように、米国社会の分断が無視しえない状況になると、抑圧された側を中心に、むしろ文字通りに、Anti-Intellectualな態度が当然視されるようになり、それがRadicalismの姿勢と結合、“The irrational has come to appear not the exception but the rule”(MIT・Aaron &Lecklider論文:2014年11月)という認識が一般化する

つまり、これは、「ラディカルな考え方こそ、抑圧された社会の大勢であり、誰にも恥じる必要なし」との生活者の居直り姿勢ともいえようか…。

2020年大統領選挙で、トランプが負けたのを、選挙が奪われたと称して、米国議会に乱入したトランプ支持者たちこそ、そうした居直り層の典型とも言うべきだろう。

今の米国では、こうしたAnti-Intellectualな思考が、ポピュリズムの仮面をつけて、世情を闊歩している

繰り返しになるが、この種の単純思考が世の大勢を占める背景には、社会の分断による“忘れ去られた人々”のフラストレーションや不安、或いは、人々の思考の中にみられる“Dunning-Kruger Effect”(知識が無い分野に対し、人々は自分の対処能力を過大評価する傾向がある)等の存在がある。

加えて、SNSやU-tubeなどの自家製メディアが、こうした傾向を下支えしていること、今更言及の要もあるまい

要するに、それは、格差社会が常態化し、抑圧されていると自ら感じる層が増えて来ると、Anti-intellectualismも亦、拡散するというわけだ。おおざっぱに言い換えると、それは、知識や理念よりは、生活者の感情が優先される社会ムードが拡がっている、ということでもある。

⑥国際政治分野でも、歴史の後退り(或いは、新しい国際秩序の幕開け)現象…?

トランプは、国際政治の世界で、何をどう変えたのか、或いは、そうした変革指向がありながら、結果としては今のところ、何を変え得ていないのか…。

例えば、ウクライナ戦争停戦に向け、ロシアのプーチン大統領とアラスカで会談するというトランプ大統領の目論見…。そんなニュースを耳にすると、何とはなしにではあるが、第二次世界大戦前夜のミューヘン会議を思い起こさせる。

ミューヘン会議の直前、オーストリアを併合し、第一次大戦後のベルサイユ体制を大きく変えようとする、そんな姿勢が見え見えだったナチス・ドイツに、英国のチェンバレン首相は融和姿勢で臨み、結果、チェンバレンは、ドイツのチェコ・ズデーデン地方の併合を認めた。

あれから90年近くたった現在、ウクライナ停戦を目指すというトランプの対ロ融和姿勢は、ミューヘン会議の英国チェンバレンの失敗の轍を踏まないと言い切れるのか…。

そう考えると、ミューヘン会議を歴史の教訓として熟知している英仏が、あまり知らないであろう不動産王トランプの目論見に、米ロ首脳会議の直前、警告にも近いチェックを米国に入れたのは、或る意味、当然といえば当然だったのだ…

***米ロ首脳会議の直前になって、米国ホワイトハウスは、会議の進展に過大期待を寄せないよう、期待値を下げる雰囲気づくりを志向し始めたのも、流石に政権内の“専門家”が、進行中の武力紛争への仲介が、そう簡単でないことを知っているからに他ならない。

そうした内々のチェックが、弱いながらもまだ入ることに、筆者は辛うじて、幾ばくかの安堵を感じてしまう。会議は案の定、プーチンにトランプが押し負けた、というのが直後の評価だろうが、今回の会議程、不動産屋の値切り交渉と国際外交の違いの本質を、トランプがまだ理解していないことを見せつけられた例は、これまで余り見られなかったのではあるまいか…。外交交渉はもっとseriousなビジネスなのだ。

戦争を停止させるという点からいえば、トランプ大統領は、世界で発生している戦闘状況に、停戦を旗印にして和平介入するのが好きなようだ。要するに、和平の押しかけ調停人の如き存在なのだ。

そして、それを、不動産業者が物件紹介の労に対して手数料を取る、つまり、仲介を半ば業とする業者の譬えに置き換えると、トランプは当然の如く、自らの和平努力にコミッションを要求するのだ。ウクライナから、これまで既に、希少金属採掘並びに処分の権益を得たような例である…。

8月8日には、首都ワシントンに、30年以上にわたって対立してきた、アゼルバイジャンとアルメニアの指導者を呼び、和平に向けた共同宣言に署名させ、併せて、そうした過程で、米国が鉄道施設の権利や天然ガスの開発権などを得る、そんな権益もちゃっかりと取り付けている。

実態から言えば、両国の和平交渉は、実際には既にかなり進展していたと伝えられ、そうした状態にトランプが後から介入したのが実相のようだが、両国とも、そうした状況を承知の上で、トランプに花をもたせ、ロシア圏での米国の姿を大きく見せ、その見返りに米国の開発支援を得たというのが、この交渉の裏面でもあるのだろう。

タイとカンボジアの軍事衝突にも、トランプは関税賦課を圧力に使い、停戦交渉を持ち掛け、その過程でこれ亦ちゃっかり、米国製品への両国の市場開放を勝ち取っている。

その他、マスコミ報道などを参照する限り、アフリカでの、コンゴとルワンダの紛争にも和平交渉を持ち掛け、その過程で両国内での希少資源開発権益を勝ち取った由。

そして、こうした世界各地でのトランプの和平交渉努力を称賛して、イスラエルのナタニエフ首相が、トランプ大統領をノーベル平和賞候補に推薦したというから、世の中にはトランプを凌ぐ役者がワンサカいるということだろう。

一言で言えば、あきれて声も出ない。「よくまぁ、自身でガザの悲劇を引き起こして起きながら、ノーベル平和賞候補にトランプ大統領を推薦できるものだと…」。

深読みすれば、ロシアのプーチン大統領も、そんなトランプのノーベル平和賞熱を熟知しており、その受賞の実績づくりに協力しながら、ウクライナでの実益獲得を狙っているのかもしれないし…。

更に憶測を重ねると、トランプは何故、それほどまでにノーベル平和賞が欲しいのだろうか…。その答え(推測)は、恐らく、トランプの限度を知らない自己承認欲求。だが、それだけだろうか…。

もう一つの憶測は、大統領退任後に役立つから…

第一期政権を終えた後、トランプが、自ら撒いた種とはいいながら、どんな目にあったか…。“闇の政府”がトランプを、連邦政府権限を使って陥れようとした。彼のそんな主張は、彼自身の境遇から自ら体得した実感に裏打ちされてのもの…。

今回も退任後、トランプは、そんな事態が再現しないとも限らないと恐れているのだ…。

だとすれば、ノーベル平和賞受賞歴を持っていれば、今後、あり得るその種の陰謀と戦うときにも役に立つはず…。尤も、話をそこまで広げると、売れない三文小説のシナリオだと言われるであろうが…。

全く違う次元から、もう一点加えておけば、トランプ大統領が打ち出しているAmerica Firstの姿勢がそもそも問題の種。

それは、既存国際秩序の否定を通じて、国際政治・経済社会での強国米国の再現という夢を目指すもので、そこまで考えると、これ亦、何となくではあるが、中国の、習近平主席の“偉大な中国夢”と、結果として、融合する可能性が出て来るのではないか…。

筆者の、“大国間での関係秩序の再改築”こそが、トランプの究極の目的なのではないのか、と勘繰る所以である。

そう考えると、最近になってポツポツと出始めた、「トランプの対中交渉では、交渉の範囲は、単に関税、延いては経済だけではなく、ひょっとして安全保障面にも踏み込むのではないか」、という米国の一部専門家の観測が改めて気になってくる。

万が一、その可能性の兆候が現れたら…。

ウクライナを巡る米ロ首脳会談に際しては、前述のように、不十分ながらも事前に、トランプがプーチンに譲歩し過ぎる、そんなリスクへの、欧州諸国のチェックが入った。

だが、台湾に関しては…。

直近のメディア報道では、台湾の頼総統が、これまでの伝統通りに、外遊の途中に米国に一時立ち寄る計画を立てていたところ、トランプ政権は、そんな台湾側の意向を無視し、立ち寄りを拒否したという。

来るべき対中交渉の機運に水を差したくなかったのだろうが、この辺のやり取り、どこか微妙な暗示を含んでいるようで、筆者としては、少し注視しておく必要を感じてしまう。

上述のように、ユーラシアの西の、ウクライナ問題では欧州諸国が米国の行動に曲がりながらもチェックを入れたが、ユーラシアの東の、台湾に関して、トランプの対中譲歩の動きにチェックを入れられる国があるのだろうか、と…。

⑦トランプは米国のシーザーになるか、ドン・キホーテで終わるか…。

結論を出すには、筆者の知識が浅過ぎるので、明確な予言はできない。

だから、ここでは米国初代大統領ジョージ・ワシントンに纏わる記述を、前記の拙著「20のテーマで読み解く米国の歴史」から引用して、長すぎた本稿を終わることにしたい。

「1789年4月30日、新憲法の下、ジョージ・ワシントンが米国の初代大統領に就任した…彼は、植民地時代にはバージニア議会議員に選ばれ、対フランス並びにインディアン戦争の際には、イギリス軍の旗の下、植民地軍を率いて戦った軍人であり、その後、大陸会議の議員、独立戦争に際しては米軍総司令官、更に憲法制定会議では議長を務めるなど、建国前後のほとんどの出来事に関与した、アメリカ革命の文字通りの中心人物…」。

その彼に、有名な逸話が残っている…。大統領に就任する直前、独立戦争を共に戦った盟友ヘンリー・ノックス将軍に、大統領就任を控えた心境を、「まるで、刑場に送られる罪人のような気がする」と書き送った書簡…。

独立はしたものの、前途多難な新生米国をどう導いて行けばよいのか…。下手をすれば、せっかく革命で得た民主制が、一気に旧大陸型の君主制に戻りかねない…かといって、自分には弁舌の才も、将来を予見する知恵も、新生米国の統治を遂行する十分な能力もない…。

そんな自分が、どうすれば、新生アメリカを、旧大陸型の君主制に戻さないで済ませられるか…。

彼の、そうした不安と懸念を裏付ける事例として、ここでは大統領の呼称を挙げておこう…。周知のように、米国の大統領は唯“Mr. President”と呼ばれるのみ。旧大陸の君主のように、“殿下”とも、“陛下”とも、“閣下”等と呼ばれはしない。そして、この“Mr. President ”という呼び方に、最も強く拘ったのがワシントンだったと…。

米国の歴史学者ビアードは、そうした米国初代大統領ワシントンの存在を「国内に急進と保守の対立が顕在化しつつあったにもかかわらず、絶妙の利害調整で国内を纏めながら、革命世代の指導者の手で、建国の礎が設定されていった…。

そして、その国造りの中心に、ワシントンがいたのは、合衆国にとって、実にラッキーなことだった」と称賛を惜しまない。さて、そうした称賛受けたワシントンと比べて、トランプは…。

現時点のトランプが、必ずしも根拠の明確ではない、各種の大統領令を乱発し、本レポートの冒頭に記したような、各種の専制的行動をとっていることは間違いがない。

彼の権限行使が憲法違反だとして、民主党知事が率いる各州政府が、そして民主党全国委員会、更には関税がらみでは民間企業が、それぞれにトランプ大統領を告訴しているが、肝心の裁判所が、下級審は兎も角、上級審に行けば行くほど、大統領の行動に制約をかける判示を渋る傾向が顕著。

そうした上級裁判所の動きを見る限り、トランプ専制は、今のところ祖語なく実行されているように見える。だが、「政治指導者は歴史の法廷で裁かれる」といったのは、日本の中曽根総理だったが、米国の大統領も、「歴史的評価は、棺桶の蓋が閉まった後に、定着する」との鉄則からすれば、トランプはシーザーになった、との予断はまだまだ早すぎる…。

交渉上手を自任してはいたが、結局、ドン・キホーテだったというのも、現状では「未だあり得る」可能性、なのだから…。

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