台湾有事を想定した高市首相の国会答弁と中国の態度硬化、連鎖の背景にあるもの~習近平思想と、その下で各政策担当者に課せられた“実践要求“~
国会質疑での、台湾有事に関連する野党からの質問(台湾とフィリピンとの間の海峡が封鎖された場合の日本の対応)への答えで、高市首相は「台湾に対し武力攻撃が発生する。
海上封鎖を解くために米軍が来援し、それを防ぐために(相手方の)武力行使が行われる」というシチュエーションを口にし、その上で「戦艦を使って武力の行使を行うものであれば、どう考えても存立危機事態になり得る」と述べた(日本経済新聞、11月17日)。
このやり取りの,狭義・直接の脈絡では、言葉上、防御対象が米軍か、或いは台湾か、必ずしも明瞭ではなかったが、中国は首相が台湾海峡への武力介入の可能性を示唆したと問題視、直後から次々と対日強硬策を打ち出すに至る。
官僚の用意した答弁書に頼らず、自らの言葉で答えようとした首相の、痛恨の一言。それを中国が素早く取り上げ、猛烈な対日強硬措置を連発し始める(中国人への訪日観光中止要請、日本留学への警鐘、日本産水産物の対中輸入の拒否、国連総会での対日批判、欧州主要国への“日本の徹を踏むな”との警鐘を込めた王毅外相発言等など)。
恐らくは、これほど強硬な反応連鎖になるとは想定していなかったのであろう、日本の外務大臣の、或る意味、軽率な対応(首相の国会答弁に対してSNS投稿した在大阪中国総領事を、ペルソナ・ノン・グラタで国外追放しろとの、一部右派筋からの声を受けたのだろうが…)、「当該人物を中国は自主的に召喚すべし」云々と述べ、問題を中国側に大人の対応で処理させようとした。
しかも、それを外相本人がメディアに向かって公言した。こうした対応が、「日本では外相すら中国の怒りの真の原因を理解していない」、つまりは、曲解していると、中国側を一層激怒させることになったこと、容易に想像出来るではないか…。
そして、その後の、外務省局長の訪中に対し、中国側は軽くあしらう素振りで、(首相発言に関する)日本側釈明を歯牙にもかけなかったという(いずれも日本経済新聞の続報)。
それにしても無防備である。緊張緩和のために訪中しておきながら、結果として、中国側の予めのシナリオに引っかかり、外交部の門前に群がっていた中国メディアの前で、まるで日本から謝罪のために訪中してきたとのイメージだけを残してしまった外務省の局長。この人にとっては一生の屈辱だろう。
外交関係緊張下の外交官は常在戦場が基本姿勢であるべき。見送りに来るはずもない中国外交部の局長が、手をポケットに入れたまま、明け透けに尊大にふるまっている様や、その場に中国メディアが群がっているのを見て取って、瞬時に中国側の意図を見破り、これ幸いと、その場で逆に、日本の姿勢を声高々と発し(勿論、そんな発言を中国メディアがそのまま報じるはずもないだろうが…)、日本大使館に戻って、即座に、この間の不愉快な事情と、局長の対中説明発言を大使館の広報から中国社会に向かって発信すればよかったのに…。
尤も、外交当局者たるもの、そんなことは出来ないのだという声が、専門家からは返ってくるであろうが…。
亦、そもそも日本側の説明のための秘密裏の特使派遣が先であるべきところ、いきなり外務大臣が、中国側の怒りの本質を外した(と中国側が見做すような)、中国外交官の本国召還の話を出したこと、そのこと自体が今回の出来事の本質を見極め切れていない対応だったのだから、その外務大臣の指示で訪中した局長の無防備対処を云々するのも、これ亦、筋違いかもしれないが…。
尤も、中国側もやり過ぎたと思っているのであろう。直近、11月31日前後の各種マスコミ報道を見ると、中国ではあの局長が在大連の日本企業を訪問し、在日の中国大使は経団連の代表と会談、いずれも政治的喧騒が経済交流にまで及ばないよう、自らの行動を微修正し始めた、ともとれる動きを示している。
もしこの中国側局長等の動きの背景に、トランプ大統領の働き掛けがあったりしたので、習主席の意向が働いているのなら、それはそれで事態の鎮静化の方向も出て来るのだろうが…。さて果たしてどうなるか…。
話を元に戻し、そもそも何故、直後、中国はそんなに本腰を入れて強硬な抗議と報復措置を日本にぶつけてきたのか…。そう考えると、当初、高市首相自身も、自らの発言への中国側の受け止め方の意味合いを、十二分に理解していなかったのだろう、と思い当たる…、これではまるで「欧州情勢複雑怪奇」を公言した、第二次世界大戦勃発直後の独ソ不可侵条約締結に際しての、日本の平沼騏一郎総理の反応と全く同じではないのか…。相手国側の実情を十二分に把握していない。残念ながら、筆者の心には、そんな疑念・確信が浮かんできてしまう。
11月7日付のワシントン発の共同電は、10月30日に韓国で実施した米中首脳会談を振り返り、米国のトランプ大統領が「同席した中国高官たちが、習主席をひどく恐れている様子だった」と語った旨報じている。
同報によると、トランプ大統領が会議に同席していた中国高官の一人(恐らくは王毅外相)に発言を促したところ、習主席は発言を許さず、そんな雰囲気の中、会談で習主席の両側に並んで座った高官たちが皆一様に、背筋を伸ばし、緊張していたとのこと。こうした状況を、トランプ大統領は異常に感じ、「あんなに怯えた様子の人間を見たことはない」と感想を披歴した由。
恐らくは、今回の高市発言に触発された形での中国側の、一瞬にしての態度硬化には、この習政権内での、“主席への恐れ”、或いは、“主席の権力への恐れ”が大きく作用しているであろうこと、まず間違いないのではないか…。では、こうした中国高官たちの恐れは、過去のどういう経緯で、積み上がり、産み出されてきたものなのか…。
習近平は、2022年10月の中国共産党第20回大会で、3期目の任期を手中にした。そしてこの頃から、中国は台湾の武力統一に踏み切るのではないか、との憶測が飛び交うようになった。
何故、そんな憶測が、この時期を境に飛び交うようになったのか…。それは、この時期に習主席自身の主張として、「建国100年(2049年)を目途に、中華民族の偉大な復興の一つとして、台湾復帰を…」との期限の設定と、軍事能力増強に向け、「軍は奮闘しなければならない(能力増強目標達成は2027年)」との、(恐らくは習主席の意向を受けての)党中央委員会の軍への指示という、具体的目標と新しい時間フレームが明示されたためである。
この目標設定の奥行は実に深いものである。
かつて米CIAの中国専門家だったマイケル・ピルズベリーの著書“”China2049”によると、2013年、習近平が中国共産党書記長(国家主席の前段階)に就任、その最初の講演で、それまでの中国の指導者が公式の場では述べたこともない「強中国夢」と言う言葉を口にしたという。
習近平はそれ以降、何度も「強中国夢」に言及、当時その様を報じた米紙WSJ(For Xi.” a China Dream of military Power” :2013年3月13日)は、中国建国100周年に当たる2049年が、その夢を実現させる年だと記述している。
ビルズベリーによると、この習の「強中国夢」のタネ本は、2010年に中国で出版された劉明福(中国人民解放軍の軍人:人民解放軍国防大学の教官)の「中国の夢」で、当時はベストセラーになったという。
それならば、嘗て中央軍事委員会弁公庁秘書(1979~82年)を務めていた、読書好きの習近平も、恐らくはこの本を熟読していた、との推測も成り立つというもの…。
本の内容は、どうすれば中国は米国に追いつき・追い越し、世界の最強国になれるか…。中国が経済力で米国に勝るようになり(可能なら、米国経済の倍の規模にまで)、それにつれて軍事力も備わってくれば…。ただ中国がそうした状態にまで達するまでには、1949年からスタートして100年かかる等など、といったもの…。
習主席が、この「強中国夢」という言葉を多用していた頃、巷間では、中国経済はやがて米国経済を凌駕するとの、予測が流行っていた。こうした経済で米国を追い抜くとの予測と、折からの習主席の党内権力強化の必要性とが相まって、中国人なら誰でも否定できないnationalisticなこの夢が、全面に押し出されてきたのだろう。
習近平は、この自ら打ち出した主張(強中国夢)にずっと拘り続けてきた。そして、繰り返せば、その中国夢の内容に、台湾の本土復帰をちゃんと位置付けてもいる。
前述した習主席の任期3期目に入る1年前の、2021年11月、共産党第19期中央委員会第6回全体会議で、「党の100年にわたる奮闘の大きな成果と歴史経験に関する決議」(歴史決議)が採択され、その中に、「習近平同志は台湾業務について、一連の重要な理念と政策・主張を打ち出し…、党が新時代に於いて台湾問題を解決するための総合戦略を形成した…」との文言が盛り込まれた。
文脈を素直に読めば、この台湾問題の解決に向けた総合戦略とは、習主席がそれまでに折に触れ打ち出していた一連の措置を総纏めしたもので、そうした措置を確実に実践に移し、中国建国100周年に当たる2049年までに、究極の目的(台湾の祖国復帰)を達成するのだ、となる。
そうした状況下、2022年12月、行政府内で台湾政策を担当する国務院台湾事務弁公室は、習主席の対台湾総合戦略の概要を次の10項目に具体的に集約し直した。即ち、①党中央の指導、②中華民族の偉大な復興過程で祖国統一を推進、③大陸の発展を基礎にしての台湾問題の解決、④平和統一と一国二制度、⑤一つの中国原理を軸に遂行、⑥両岸関係の平和的・融合的発展、⑦台湾同胞との団結、⑧台湾独立の分裂意図を粉砕、⑨外部勢力の干渉に反対、⑩武力行使放棄は約束しない。
そして、この10項目を達成するために、党や行政府の台湾担当部局は以下の4点を実践しなければならないとされた(4つの実践要求)。
即ち、a)祖国統一邁進のために(能動的に)歴史的主動権を発揮すべき、b)福祉をはじめ、各領域で両岸の融合発展を図る、c)台湾独立派と外部干渉の排除、d)祖国統一に向け団結し、民族復興の歴史的偉業を達成…。
要は、習近平思想が絶対視されている今の中国に於いて、本土と台湾の双方の融合を目指し、台湾独立派による分裂と外部勢力の干渉を粉砕し、所与の目標達成に向けて、党と行政府は一丸となって、積極的・能動的に、つまり主動的に、4つの実践要求を遂行して行かねばならないのだ、と…。
つまり、この4つの実践要求こそが、今や、中国の全ての関係機関(共産党内、行政府内を問わず)を規定する、鉄のルールとなっているのだ。高市発言は、この鉄のルールに触れたのだ。となれば、中国の行政府・軍は、この4つの実践要求に従って、事に処せねばならない。そのように行動しなければ、習近平主席が下部の組織に課したリトマス試験検査に合格しないのだ。
この重大な任務の大半は、当然に外交当局と軍の肩に降りかかってくる性質のもの…。米中首脳会談の席上、中国の外相が習主席の前で、怯えて固まっていた(トランプ大統領の観察)のは、こうした習路線の枠内での己に課された責任の重さを、身につまされていたが故だったのではなかったか(王毅外相の前任者は、汚職を名目に粛清されている。直近では、軍指導部が次々と同じ粛清にあっている。とりわけ、台湾と経済的・地縁的関係が深い福建省の軍首脳などがやり玉に挙がった等々)…。
両岸統一に向けた、習中国の基本姿勢はこれまで、その折々の国際政治状況によって、微妙にではあるが、確実に硬化して来ている。但し、その硬化には、習主席のある意味での政治的信念と、党内を掌握し続けるために使用されている感のある、誰もが反対できないNationalisticな心理的拘束感が作用している。
結果、「中国の偉大な夢を実現するためには、台湾の祖国復帰は、自分の手で必ずやり遂げる」との習主席の決意が益々強調され、国際情勢が中国にとって厳しいものになればなるほど、党組織の基盤固めの必要性からも、習中国の台湾への姿勢強化の度合いも増す道理。
だから、見方を変え、習主席をして言わしめれば、その究極の目的達成のためにこそ、「自分は主席の座に拘っているのだ」となるのだ。そして、その目標を貫徹するためには、党組織に活を入れ、軍の忠誠度を高めておかねばならない。習主席による、党幹部や軍首脳部の徹底的粛清、或いは、習自身の主席就任期間の延長すら、このような突き詰めた決意から派生してくると、理解されるわけだ。
だとすれば、台湾の祖国復帰、中国の偉大な夢実現に向けた、そのための軍の能力増強が不可欠となる。
習主席の3選を認めた、2022年10月の会議以前の2020年10月、共産党の第19期中央委員会第5回全体会議が開かれ、その場で「中国軍の建軍100周年に当たる2027年に向けて、軍としての奮闘目標が設定」されていた。
具体的な、その目標なるものは示されてはいないが、軍はその目標に向け「機械化、情報化、知能化の総合的発展を加速化させ、…軍事訓練と戦争準備を包括的に強化…、以て、戦略的能力を向上させなければならない」と指示された。
この中国軍への奮闘目標が示された直後、米国インド太平洋軍のデービッドソン司令官(当時)が米国議会公聴会(2021年3月;上院軍事委員会)で、「中国軍が6年以内に(つまり2027年迄に)、台湾に侵攻する可能性がある」と証言した。
尤も、このような米国側の予測は、2年後の2023年3月頃になると、それはあくまでも中国軍の能力増強目標で、「中国軍は台湾有事の際に、米軍の介入を阻止する能力の保持を心掛けている」(米国国家情報長官の議会証言)というものに、トーンダウンされている。
直近のNYT紙は、こうした事情を以下のように記している。Mr. Xi has set a 2027 target for modernizing the People’s Liberation Army and also–according to some U.S. officials–for gaining the ability to invade Taiwan, which Beijing claims as its territory (NYT 2025, Aug 10) 。
亦、一部専門家によると、中国共産党系の英字紙Global Timesも、「2027年までに中国軍は、台湾問題や南シナ海、中国とインドの国境紛争など西太平洋地域の覇権主義と権力政治が齎す脅威に効果的に対処する能力を備える」と記述しているとのこと。
以上みてきたように、過去の経緯を踏まえると、現状では、中国の対台湾姿勢は、2021年11月の歴史決議の中での習主席の主張(中国建国100周年に当たる、2049年までに、台湾の祖国復帰を達成する)に規定され尽くされていることがわかる。
そして、繰り返せば、その際の主動的行動の役割の多くは、外交当局と軍に賦課されてくる。
そう考えれば、高市総理の、この習基本方針に反する発言に対し、中国外交当局の姿勢が即時に硬直化するのは、中国の内部事情からすれば、至極当然のことだということになる。言い換えると、それ程までに、習主席の意向が党組織、官僚組織全体を覆っているのだ。つまり、中国の行政機構・軍組織は、それほどまでに習主席を恐れ、その権力に従順なのだ…。
では、当初、主席就任時には、「共産中国最弱の帝王」(産経新聞・矢板中国総局長・当時:2012年発行本)とまで評された習近平が、今や何故、中国の行政・軍関係者が一様に恐れる程の、権威と権力を掌握出来たのだろうか…。以下は、浅学の筆者の、かなり主観・独善入りの見解である。
先ず強調すべきは、習近平の生い立ちであろう。
周知のように、近平の父親・習仲勲は周恩来首相の下で副首相を務めたエリート。ところが1962年、突然失脚する。習近平が6歳の時だったという。折からの文化大革命に引っかかったのだ。習仲勲は1963年8月、身柄を拘束され、その子供・習近平は、その後8年間、父親不在で過ごさねばならなかった。
そして、文革の中、上山下郷運動が始まり、習近平自身も、父親が失脚中の1969年1月、知識青年として、わずか15歳で農村に送り込まれることになった。
当初の下方先は、父親の故郷で、多くの親戚がいる富平県だったそうだが、親戚たちは失脚中の父親との関わり合いを恐れて、頼ってきた習近平を門前払いしたそうな…。仕方なく、習近平は北京時代の仲間を頼って陜西省延安近くの梁家河村にやってきたという。住み着いた住居は山を刳り貫いて作った横穴式住宅だった。
直後、習近平は、そのような生活に耐えられず、北京に脱出するが、戻った北京にはもはや彼の居場所はなかった(血縁者はいずれも北京を追放されてしまっており、戸籍も既に下方先に移されていた。それ故、居所を失った周近平は、結局、再び梁家河村に帰らざるを得なかった)。
延安の山を刳り貫いて作った横穴式住宅に関し、NY Times記者のハリソン・ソールズベリーが1990年代に書いた「ヒーローの輝く瞬間」と言う本に、カソリックの修道女ブリジッド・キーオウ女史を扱ったパートで、延安の洞窟住宅の話に触れている。
それによると、「延安は埃っぽい土地だった。まさに最果ての地という感じで、日陰を提供してくれる樹木もなければ、草も灌木もない…住まいは黄土の山腹を刳り貫いて作った不気味な洞窟…これらの洞窟は、毛沢東と麾下の指揮官たちが、蒋介石の追求を逃れて1万キロに及ぶ苦難の長征を行った後、中国の辺境中の辺境ともいえるこの地に避難場所を求めて1935年~36年に到着してから滞在した、まさにその洞窟だった。
毛沢東らは、ここに落ち着いて戦略・戦術を練り、15年後には中国の実権を奪取したのだ…」とある。
下放されていた習近平も、恐らくは、ここに避難していた毛沢東が、10数年の後、中国を奪い返した故事の連想に、わが身を置き換え、将来の躍進を心底深く誓ったことだろう
。
事実、梁家村在住時こそが、“習近平らしさ”の種植時期だった。
悲痛な下放時代、彼は逆に、農村に溶け込んで、農村に浸りきる生活を決意したのだ(尤も、此の辺の処を後世の各書は、指導者・習の偉大さを誇張気味に描いている可能性大だが…)。
先ずその手始めに着手したのが、下方先の延安の方言を覚えることだった。更に、農村の諸習慣を体得し、力仕事や汚い仕事を率先してやったという。
その挙句、彼は、いつの間にか村のリーダ―になり、20歳の時には、諸々の嫌がらせを克服し、共産党への入党も認められた。恐らく、こうした生活の折々に、彼は村住民の利害の錯綜している様や地縁血縁関係、或いは県の共産党組織の中での人脈作りなど、実利的な対処能力を身に着けたものと思われる。
そうした能力は、やがて花開くことになる。文革の影響も除去され、文革中逼塞していた鄧小平の表舞台への登場と改革開放政策が始まり、1978年には上山下放運動も終結するが、習近平はその終結に先立つ3年前、1975年、恐らくは鄧小平の引きで、精華大学に入学することになる。
そして、ここから先は再びエリートの道をひた走る。
こうした略歴の中で、容易に推察出来るのは…。
こうした性格の習近平が、指導者となるや、先ずは先人毛沢東に倣い、習近平思想を党内で定着させ(本好き、論理好き、論評好き故、こうした精神論・思想の普及はお手の物)、次いで中国製造2025年などの経済基盤強化策を実施、最終的には、建国100周年に向けた大目標をぶち上げ、ナショナリズムの醸成にも努める。
要するに、思考は視野が広く、具体的・計画的・戦略的で、且つ、社会的受容力があるものを選好しているのだ。そうして気が付けば、いつの間にか習近平思想が中国社会の規範として、行政機構・軍機構をぐるぐる巻きに縛っていた、という次第。
今、筆者の手元には、習近平が浙江省書記時代、浙江日報のコラム欄に執筆した一連の短編文があるが、それらを読むと(勿論、日本語だが…)、例えば、理論を学ぶには3つの境地があるべきだ(第一に天涯の路を望みつくす、第二に苦労をいとわず、他人のために憔悴することを心から望まなければならない、第三に独立して思考し、学習と応用を結び付け等など)とか、世界的な視点と戦略的な思考を持たねばならないとか、戦略的チャンス期を掴むには、歴史的緊迫感を持たねばならないとか…、それら多くの短文には、現在の習政権の動きを理解するのに役立つ類のものが多いように思われる。
さて本レポートも長くなり過ぎたので、今回の高市発言で露呈された、冷戦時代に有効であった安全保障を巡る戦略環境が冷戦崩壊35年余を経た今、大きく変質している様を指摘して、本レポートの締めくくりにしたい。
私事になるが、今から30有余年も前(世界平和研出向時:冷戦終結前)、ボストンのハーバード大学の夏期講座(テーマは太平洋における米国の核戦略)に出席する機会を得たことがあった。約2週間、大学の寮のようなところに、米国の海軍の軍人さん2人と筆者の計3人が相部屋で宿泊した。授業は面白かったし、相部屋生活も楽しかった。お互い、全く知らない環境で生きてきた人間同士、雑談の中にも勉強の種が満載だった。そんな授業の中で、今でも覚えているのが、ケネディー行政大学院のアシュトン・カーター教授の講義(のちに国防長官になる)。
彼は、太平洋における米国の戦略を3本柱構成だと解説した(①韓国や日本、フィリピンやグアムの海軍基地を軸とする前方展開戦略。②太平洋を舞台としたMaritime Strategy、③そしてNuclear Triad—潜水艦発射核、大陸間弾道核、そして飛行機から投下する核―)…。
だが、そうした3領域で米軍が圧倒的に優位にあった時代は、今や過去のもの。こうした力や立地の優位を失った米国が、従来型(冷戦時)の同盟の基軸の役を果たし得るのか…。正直、“心もとなさ”を感じてしまう。恐らくこの“心もとなさ”は、欧州でのウクライナ戦争に直面しているNATO諸国が今の米国に感じている“心もとなさ”と相通じるものがあるのではないだろうか…。
高市発言の想定が、厳密に読めば、台湾海峡で米軍が攻撃された場合の日本の対応だったはずだが、そうした状況で発せられた言葉に中国が激しく嚙ついてきている今、機軸の同盟国・米国からのコメントは、さして位が高くはない、国務省のTommy Pigott副報道官の“日米同盟はcornerstone of peace and security in the Indo-Pacific…We firmly oppose any unilateral attempts to change the status quo, Including through force or coercion, in the Taiwan Strait, East China Sea or South China Sea”というものだけ。米軍が攻撃された場合、という想定での高市発言だったのに、この米側の型通りのコメントの中には、同じ価値観故の親しみや最も大切とされる同盟国日本への、共鳴感等ありはしない…。
勿論、今のトランプ政権で、具体的な交渉や、タイミングを見計らっての適切なコメント等は、全てトランプ任命の特使と称する、謂わば、外交の素人が取り仕切っており、外交畑の事務専門家の、Pigot副報道官に、当該発言以上のものを期待するのはどだい無理なのかもしれないが…。
そして、我々が期待するような、安全保障上の確固たる言質の代わりに、米国が投げてよこしたのは、紛争仲介好きのトランプ大統領からの高市総理への電話。それも先ずは中国の習主席に電話した後(つまり、中国側の主張を聞いた後)で…。結局、トランプ大統領が高市総理に言ったことは、詳細は発表されないのでわからないが、米紙WSJの表現によると、「中国を刺激するな」とのアドバイス(日本側は否定)。
この言葉使いに関連して、トランプ大統領の高市総理への言い振りを、ロイター電では、当初の記述が“トーンを変えよ”との表現だったのを、後刻、“ボリュームを下げろ”だったと記述し直している。こうした記述修正等から類推するに、恐らくは、何らかの助言はあったのではなかろうか…。
考えれば、米国のトランプ大統領は経済を軸に習近平総書記と交渉したがっている。習近平の方も、「強中国夢」達成の前提が強い経済だとの認識で、その中国経済が悪化している現状では(例えば、直近、中国の企業の決算状況を見てみると、上場全企業の4分の1が赤字だったという)、習近平主席の側にも、トランプ大統領と経済問題で交渉する必要・余地は十二分にあるのだろう。かくして、ユーラシア・グループのイアン・ブレマー社長命名の“G2の世界”が確実に開かれようとしている。
そこでは安全保障の問題ですら、経済問題にすり替えられてゆく。ウクライナ和平問題の内実が、結局は、領土の切り売りの様を色濃くしているのは、トランプ流交渉の本髄がそこにあるからに他ならない。恒常的安定よりは目の前のバランスを、というわけだ。
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