鷲尾レポート

  • 2026.02.27

試論:日本の製造業、何故イノベイティブでなくなったのか?~失われた30数年の間、何をしていたのか~

「“失われた30年”、下手をすると、それが“40年”にもなりかねない」。

そんな恐れが世間で流布され始めて既に数年、この間、マスコミ紙上では、日本の製造業の地盤沈下に警鐘を鳴らす報道が、折に触れ為され続けてきた。

***ここで対象とする製造業は、もっぱら自動車や家電等の組み立て型のそれをイメージしている。

例えば、5年半ほど前には、日本経済新聞(2020年12月21日)が、“市場が映し出す企業の浮沈”と題するコメント論説を記載、「…時価総額を自己資本で割った株価純資産倍率(PBR)が大きい程、成長期待は大きい…。

逆に、その比率が1を切れば、経営のまずさやその他の要因で、株主価値が将来にわたって破壊されると市場が判断する」と解説、この尺度で「経団連所属の大手企業19社(当時)の、平均のPBRを見ると、その比率は0.75倍…。個別企業毎に見ても、比率が2倍超の銘柄はなく…そうした尺度から見て、日本の大手企業は総じて古く、成長力に欠ける…」と指摘、これに対し「米国のダウ構成銘柄は、戦後生まれの企業が過半を占め、極めて新鮮で、PBRも高い…」。

こうした日米主力企業の対比は否応なく、「日本の産業構造の中での、新旧企業間の新陳代謝の不足が浮き彫りになる…」と強調していた。

亦、2年半程前の、同紙2023年9月5日の記事(“日本勢、成長の芽を掴めず”)でも、「2022年の世界市場に於ける、主要商品・サービス・シェアー調査で見ると、日本企業の首位は69品目中6品目に留まり…他の63分野では、嘗てと比べると、日本企業が大幅に順位を落としている。そんな中でも、とりわけ成長市場でのシェア―低下が目立ち、存在感を示せていない…」と警鐘を鳴らした。

更に、直近の同紙(2026年2月21日;円安是正と株高両立の条件)でも、「日本の上場企業の多くは海外で活躍し、故に、利益の本国送金などによって、円安が収益を押し上げる構図が出来上がり、2006年以降、円安になると日本株はあがる『負』の相関関係が出来上がっていた…、しかし近年は、事情が急変している」と警戒感を示す。急変の理由は、上記のように、日本企業の製品自体が、海外マーケットで地場製品や中国製品等に押され、市場シェア―を落としているからだと…」。

そして、「日本の製造業が今後、付加価値の高い技術を開発し続け、そうした分野で覇権を握る地位を築けるかどうか」が勝負だとして、現在は嘗てと違って状況が一変、円安の是正と株高両立の条件を模索する段階に入っている」と指摘する。

同紙の別の「日本車、東南アジア販売2割減」という記事(2026年2月18日)も、同じ趣旨の警鐘で満ちている。内容は「日本車の主力販売市場だった東南アジアで、日本車のシェア低下が止まらない…。2025年はインドネシアなどアジアの主要6か国の全てで前年実績を下回った。

日本車(新車)の年間販売台数は227万台と19年比で22%減った。割安な中国や現地新興のメーカーが生産する車に顧客が流れ、日本勢が収益源としてきた牙城が揺らいでいる…」といった趣旨。恐らく事情は、自動車以外の日本製品でも同じだろう。

では、日本の製造業は、何故、かくも国際市場で地盤沈下してしまった、或いは、何故、これほど勢いを失ってしまったのか…。

私見では、その主因は、1980年代のプラザ合意以降、日本経済が被ったマクロ・ミクロ両面での経済環境激変への個々の企業の対応が、従来思考の延長線上に留まったままだったこと…。

だから、従来通りの商品作りを継続するために、「赤信号、皆で渡れば怖くない」式に、揃ってアジアなどの新天地(生産基地)に出張って行った…。そして、その方向での努力に、手許のリソースを使い果たしてしまった…。

それ故、逆に言えば、新しい経済環境下、日本国内で第二の起業をする覚悟で、新商品開発に傾注しなかったことにこそ、今日の製造業低迷のルーツがあるのではないか…。

周知のように、1980年代の日米通商摩擦激化の結果、主要先進国の間でプラザ合意が為され、円の価値は大幅に切り上げられた

そんな中、日本の官民挙げての関心は、先ずは大幅円高が齎す輸出減・輸入増への対応やそれに伴う輸入インフレ対策、延いては国内不況への対処、更には、攻めの円高対応としての海外投資の促進、そしてそれらを担わねばならない個別企業への支援策導入(含む投資減税)等などに向けられたが、これらは、いわば当然の方向性…。

言い換えると、それまで国民経済の中で,政府の産業政策の名の下、温育されてきた日本企業にとっては、導き手である政府の手を離れ、いきなり、それぞれが個別に生きる道を考えろと言われても、これまでと異なる途は採れず、結局、各分野の主要製造業企業は、押しなべて同じ戦略を取るに至ったのだ。

それは日本国内にそれ迄に構築してきていた、自社のサプライ・チェーンを、そっくりそのまま中国やアジアに持ち出して(下請け企業等を国外に随伴して)整備することだった。

具体的にそれらの展開を年代別に見ると…、

1980年代後半

〇には、①急激な円高に対応するための海外進出、②国内のバブルを逆に活用する形での、製品輸出から内需へのマーケット転換、③何らかの形で不動産を絡める企業資産増強等など…。

1990年代のバブル崩壊期以降

〇には、①自社の生産ネットワークそのものを、構成企業もろとも、中国や東南アジア市場に全面的に新設・移設する(地産地消)。②それに付随して、日本的経営方式を中国やアジアでも本格展開、③国内のバブル経済破綻後は、それまでに生産を移転させていたアジアや北米を、より明確に第二の国内市場と見据え直すとともに、併せて、主要な輸出拠点とも位置付け直す等々。

2000年代に入ると

〇①海外生産と部材輸出を組み合わせて、新たな新興国市場を開拓する方向が示され。②製造ネットワークの海外拡張の必要資金は折からの金融グローバル化を活用して全世界から調達するようになった。

リーマンショック後の2010年代以降

〇①日本からの輸出の太宗は、完成品ではなく部材や装置類となり、②当該企業の完成品は海外子会社で組み立てて、そこから第3国に輸出する体制が主流となった。

亦、③日本の親企業収益に占める海外子会社からの収益寄与が大きくなり、それまでの円安から本社が裨益するメカニズムも、円安→輸出増のルートから、円安→海外子会社が稼いだお金を親会社が吸い上げ、以て親の収益増とする方式に切り替わった。

具体的には、2024年の経済産業省試算では、日本の製造業の収益は、全体として当時、輸出で10兆円、海外事業からの配当や技術支援料名目での還流金が10兆円、合計20兆円もあったとのこと。

しかし、上記のようなやり方は、繰り返せば、大手組み立て製造企業が1980年代までに日本国内で築き上げてきたサプライチェーン・ネットワークを、そっくりそのまま海外、とりわけ中国やアジアに新設・持ち出した、ということ…。

そして、そうしたやり方を採ったが故に、投資はもっぱら海外で為され、母体の日本経済は、国内市場の需要の伸びが低く、1990年代以降、本社工場の生産性は長期に渡って伸び悩む事態に直面せざるを得なくなってしまう。

つまり、1990年代以降は、海外拠点工場群が生産性成長の柱となり、極論すれば、日本国内に残された工場群は抜本的変革努力の対象外に…。故に、国内では、生産性引き上げに向けた努力(つまり投資増に向けた動き)は余り払われなくなった

そして、この間、国内マーケットに投入される新製品の数も少なくなり、それ故、国内下請け中小企業のパーフォーマンス改善も亦、殆どなくなってしまう。こうなってしまうと、日本国内での投資機会は益々減って行く

***日本には、業種毎に企業が集う形での“工業会”が多く存在する。そんな業界などでは、国内の生産設備の老朽化の話がよく出る。ある機械業界では、生産設備の3台の内2台が、10年以上経過した設備だという説も…

ここまで古くなると、理屈上では、設備更新となるのだが、今更設備を更新すると、そのためのコストで競争力が落ちるとの計算から、新設が見合されるようなケースも間々あるとか…。設備更新がないから、新しい技術の本格的採用も出来ない。反面、中国などでは、スマホなどが新機種に代わる度毎、工場の生産ラインが一から構築され直すとか…。

極端な譬えだが、そんな生産ライン新設組と、日本の10年以上経た老朽設備組とが競争しても、勝敗は既に戦う前から明らかではないのか…。

かくして、1990年代以降の“失われた30年”を、経済産業省の「産業政策新機軸部会の整理レポート」は以下のように要約する。「…失われた30年間の中で、日本の企業経営では雇用維持が重視され、全体として、企業は既存事業のコスト・カットと海外投資に注力し、国内投資は大きく停滞、新事業創出に向けての国内での大胆な投資は行われなかった

その結果、大企業の経常利益はこの30年間で大きく上昇しているが、その内実を見れば、国内での売り上げは横ばいであり、国内でのデフレの影響による売り上げ原価の縮小による利益の増加と、海外収益の増加が、この間の利益増の主要因であった…

雇用維持が重視されたため、失業率は低水準に保たれたが、その一方では、平均賃金は30年間、ほぼ横ばいのまま推移、それに伴い個人消費も低迷を続けざるをえなかった…」云々。

ここで、私見を続けよう。

一方では、失われた30年数年の間に、経済低迷の中で世代交代が進み、成長を知らない世代が社会の主流を構成するようになった。そうなると、嘗ての高度成長期の社会体験や価値観は失われ、それ故に、社会の中での働き方への姿勢や人々の経済的欲求の質等が、大きく変貌してしまう

言い換えると、人々は物質的充足に余り大きな意味を見出せなくなり、その意味で、社会全体に「物的欲望の飽和」状態が現出するようになる。直近の日本で、若者の自動車保有熱が薄れ、押し活がブームとなる等、消費の対象が“モノからコト”へと変化していっている状況は、或る意味での、そうした“物的欲望枯渇”の表れと理解すべきなのだ。

つまり、失われた30数年の間に日本経済に生じたのは、生産面での投資意欲の喪失と、消費面での物的欲求の喪失の二つ。これでは、経済、延いては製造業は、成長のしようがないではないか…。

言い換えると、社会における、この生産・消費両面での“抑制”を取り除き、社会に再び物的(サービスを含む)欲求を創出し直すことこそが、日本経済再生の肝となる…

では、そのためには何をすればいいのか…。キーワードは、イノベーションという一語に尽きる

経済学の世界で、嘗て20世紀の初頭、「人々の欲望が枯渇してしまうことはない」と言い放ったのはJ・Aシュンペーターだった。彼は、その断言の根拠に、イノベーションの存在を挙げ、「我々が想像すら出来なかったような、新しいモノが必ず生み出され、それが人々の欲望を更に増殖させるのだ」と説いた。

そして、そうした新しい欲望を刺激する商品群を作り出すのが、特別の能力を有する“企業家”なのだと…。

尤も、失われた30年下にあった日本でも、イノベーションの必要性は、それこそ耳にタコができるほど聞かされた。恐らくは、企業経営者の多くも亦、イノベーションを起こせと、配下の組織にハッパをかけていたはずだ

だが、そんな状況下の日本では、結果から見ると、これまでのやり方を一変させる破壊的イノベーションは起こらなかった。何故、起こらなかったのだろうか…

著作「イノベーションのジレンマ」で有名なハーバード・ビジネス・スクールのクレイトン・クリスチャンセン教授は、「最初は既存製品に劣り、新市場でしか通用しない技術が、やがて既存市場で業界リーダーを脅かすようになるのは何故であろうか」と問い続けた。

出した答えは、「大手企業は顧客の意見に耳を傾けすぎるから…」という意外なものだった。同教授は指摘した。「破壊的技術は、大手企業の顧客たちが重視している価値や特性といった尺度だけからみると、性能はむしろ劣っている場合が多い。

だから、既存顧客の意向を重視する大手企業ほど、そうした新興技術を取り入れようとはしない。こうした状況下では、破壊的技術であっても、活用されるのは、文字通りの新しい市場や用途に使われるに過ぎない。

だが、事情は一変する。そうこうしている内に、そうした技術の新たな用途の価値が認められるや、アッという間に、新市場が形成され、その速度の速さ故、伝統的な大手企業が気付いて当該新技術を吸収しようとしても、『時すでにtoo late』となるのだ」と…

ここで同教授が問題視しているのは、大手企業の過去の成功体験が却って邪魔をするという事実だろう。

既存の大企業は、眼前の顧客ニーズに努めて対応する習性が強く、その意味で、過去の成功体験が組織を縛る傾向がある。「顧客の間で既に通用している既存技術があるが故、新技術や利益率の低い案件には資源を割く誘因が湧かないのだ」。

***1980年代から90年代、日米通商摩擦が激しかった頃、筆者も折に触れ、日本の対米情報発信の一環として、米国の製造企業よりも日本の製造企業の方が、工場管理から労働者の意識、さらには生産プロセスの練度の高さ等々で優れていた、否、米国企業のそれら分野での努力が劣っていたと、米国内で広報し廻ったことがある。

日本の工場では、トヨタのKAIZEN方式に代表されるような、製造工程内での“摺り合わせ”努力が日夜行われている。「悔しかったら、米国の工場でもやってみろ」と内心で思いながら…。

或いは、製造工程のモジュール化も進んでいる。製品やシステムをより小さな単位である「モジュール」に分割、「モジュール化すれば、当該モジュール部分だけで、つまり商品全体やシステム全体に手を付けずとも、効率的に問題を解決出来る等と…。

部品も共通管理出来るし、設計情報も蓄積出来る。品質も安定させることが出来るし、納期も短縮出来るし、コストも削減出来る等々。

しかし、日本の製造業の、1980年代以降の低迷の歴史を振り返ると、こうした当時の日本企業のやり方自体が、「従来のやり方にしか、他に発展の途はない」との思い込み故であったのではないかと、クリスチャンセン教授のイノベーション論などを読み返す内に、反省するようになった

***むしろ、そんな破壊的イノベーションを起こしたのは中国だったかもしれない。中国製造2025年計画を策定していた頃の中国には、上記のような意味での、先発大企業は国内にはなかったに等しい。

それ故、起業精神豊富な若い“企業家“に、新しい破壊的技術を十二分に活用する機会が与えられたのだ。スマホや通信、EV、環境関連のエネルギー技術などは、そんな中国の企業環境の中で花開いた一例だろう。

***クリスチャンセン教授は亦、立ち上がり時期には、利益率の低さ故に、大企業組織での対応には困難が伴うと指摘する。

では、そんな既存優良大企業の経営者が、もし仮に、将来の破壊的技術の市場を掘り当てたいと思ったら、どうすれば良いか…。同教授は、その質問への回答も用意していた。

それは、資本関係の有無はどうであれ、自社から独立したスタートアップ企業に実験させればよいのだと…。ハングリー精神旺盛な小組織であれば、仮に失敗してもへこたれず、嘗て若かりし頃のリンカーンが言った言葉“Try, Try, Try Until Succeed”を実践するだろうと…。そんな例として、同教授は、アップルの創業時を引き合いに出す。

1977年に発売された第一号製品(アップル1)は大失敗に終わったが、同社はアップル1の失敗から多くを学び、その後のアップルⅡで見事に成功したではないか、と…

以上のように、イノベーションの効用を紐解いて行けば、実は今の日本にも、破壊的イノベーションを開花させる準備が、既に用意されているようにも見えてくる

例えば、最近の関税摩擦絡みでの日米共同プロジェクト構想。その中で取り挙げる各種共同プロジェクトの中にも、上手く交渉すれば、将来の破壊的革新技術を両国が共同開発・共同商業化することに繋がるケースも多々あるのではないか(例えば人工ダイヤモンド生産技術の洗練化やその商業化等など)…。

直近の日本経済新聞に、「企業の稼ぎ『日本還流』鈍く」(2026年2月10日)との記事が載っている。それには、「財務省の発表によると、2025年に日本企業が海外事業で得た稼ぎは26兆円と過去最高を更新した半面、国内本社に還流せず海外に留まった額が4割強に上り、海外子会社が内部留保として蓄える「再投資収益は11兆3425億円に上った…」とある。

こうした記事は、日本の製造企業が、国内で手厚く内部留保を積み、且つ海外子会社でも、投資名目で手許に多額の内部留保を有している、そんな現実を明白にしている。要は、本来は投資主体たるべき企業が、国内・海外を合算して、今や恒常的に巨大な貯蓄主体化しているのだ

高市総理が、企業の内部留保を当てにして、且つ、日米共同開発プロジェクトなどのフレームを使い、そうしたフレームの中で、破壊的イノベーションの開発・促進を軸に、個別企業に国内向け投資を強いる方向に政策の舵を取ろうとしてくれたら…。そんな、確かな標的を視中に入れた政策を取ってくれたら…

経済衰退の風の中、最近の筆者は、日本の製造業の長期低迷に心を病んで、「枯野に夢を駆け巡らせた」石川啄木の心境にならざるを得ない

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